ドラマ『薫る』にモデルはいる?実話に基づいているのか原案となったエピソードを調査

明治時代の白いエプロン姿の看護婦二人が、風に揺れる並木道を並んで歩いていく後ろ姿 朝ドラ

朝ドラ『風、薫る』は完全な実話ではなく、実在の看護婦・大関和と鈴木雅をモチーフにしたフィクションです。

一ノ瀬りんのモデルは大関和(おおぜき・ちか)、大家直美のモデルは鈴木雅(すずき・まさ)。原案は田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)です。

夜更けに最終回を見返しながら、僕は何度も手を止めました。縁側の二人の姿に、百四十年前の本物の二人が重なって見えたからです。この記事では、モデルの生涯と史実との違い、そして9月25日の最終回までを一本の線でたどります。

『風、薫る』は実話?モデルは大関和と鈴木雅

結論から言えば、『風、薫る』は「実在の人物をモチーフにした創作」です。原案はありますが原作はなく、フィクションとして制作されています。

NHK連続テレビ小説の第114作で、2026年3月30日に始まり、9月25日の第130回で完結しました。脚本は吉澤智子さん、主題歌はMrs. GREEN APPLEの「風と町」、語りは研ナオコさんです。

血縁関係のない二人のダブルヒロインは、朝ドラとして初めての試みでした。見上愛さんがりんを、上坂樹里さんが直美を演じています。

役名を実名から大きく離したことで、脚本は史実の年表に縛られず、人物の内面を自由に描けるようになりました。この「自由」が、後で触れる大胆な脚色の土台になっています。

『風、薫る』登場人物とモデルの対応表

主要人物と、モデル・モチーフとされる実在人物を整理します。

ドラマの役名(演者)モデル・モチーフ史実のポイント
一ノ瀬りん(見上愛)大関和安政5年(1858)、黒羽藩家老の家に生まれる
大家直美(上坂樹里)鈴木雅安政4年(1857)生まれ。英語に堪能
バーンズ先生アグネス・ヴェッチエディンバラで看護を学んだ指導者
梅岡女学校付属看護婦養成所桜井女学校附属看護婦養成所明治19年(1886)設置
大山捨松(多部未華子)大山捨松明治4年(1871)に渡米した女子留学生の一人

史実の鈴木雅は大関和より1歳年上で、二人は同じ養成所の同期でした。

一方、多江(生田絵梨花)やシマケン(佐野晶哉)は、物語を動かすために置かれた人物と見るのが自然です。史実の骨格にフィクションの肉付けを重ねた「二層構造」が、この朝ドラの設計図だと僕は考えています。

大関和とはどんな人?一ノ瀬りんのモデルの生涯

大関和は、下野国の黒羽藩(現在の栃木県大田原市)で家老の家に生まれました。

若くして結婚し、一男一女をもうけますが離婚します。プレジデントオンラインは、20歳年上の夫のもとを離れたことを離婚の背景として取り上げていました。

ドラマのりんも、酒乱の夫・奥田亀吉のもとを娘の環と出て上京します。「子を連れて家を出た女性」という核は史実どおりですが、子どもは史実の二人から一人娘に絞られました。

環境再生保全機構のコラムによれば、和は上京後、実家に身を寄せて二人の子を育てながら、牧師・植村正久と出会います。その勧めで、桜井女学校附属看護婦養成所に入りました。

JBpressの連載記事によると、一期生のうち2人は実習前に辞め、残る6人が明治21年(1888)10月に卒業しました。その6人の中に、和と雅がいました。

その後の歩みは次の通りです。

  • 明治21年(1888):帝国大学医科大学第一医院(現・東大病院)で外科の看病婦取締(看護師長)に
  • 明治23年(1890):第一医院を退職し、新潟・高田の高田女学校へ舎監兼伝道師として赴任
  • 明治24年(1891):高田の知命堂病院で初代看護婦長に。赤痢の流行時に衛生管理を徹底したとされる
  • 明治29年(1896)頃:上京し、雅が神田に設立した東京看護婦会で教師となり、のちに会頭へ
  • 明治41年(1908):『実地看護法』を刊行
  • 明治42年(1909):神田猿楽町に大関看護婦会を開設
  • 昭和7年(1932)5月22日:本郷の大関看護婦会で、脳溢血により満73歳で死去

晩年の和は、看護だけにとどまりませんでした。女子学院の特設サイトは、52歳で神学校に入学したことを紹介しています。

さらに日本キリスト教婦人矯風会の理事として、廃娼や禁酒、婦人参政権の運動にも関わりました。

この年表から浮かぶのは、職場を追われても場所を変え、看護と女性の地位を広げ続けた人という姿です。

※画像はAIによるイメージ

鈴木雅とはどんな人?大家直美のモデルの実話

雅は安政4年(1857)、静岡の士族・加藤家の長女として生まれました。父は戊辰戦争を戦った幕臣とされ、敗れた側の家の出です。

横浜で英語を学び、陸軍少佐の鈴木良光と結婚します。しかし夫は西南戦争で負った傷がもとで、明治16年(1883)に亡くなりました。

26歳で夫を失い、幼い子が残されました。夫を十分に看護できなかった後悔が、看護の道へ進むきっかけになったと伝えられています。

日経BOOKプラスのインタビューで田中ひかるさんは、和を感情豊かなタイプ、雅を理論派と対比しています。雅は和の退職から約3カ月後に第一医院を去り、派出看護婦会を設立しました。

ところが雅は、心血を注いだ会を和に譲り、43歳で引退します。理由ははっきりせず、息子の病気や「看護婦規則」の影響が指摘されています。

ドラマの直美は、教会に捨てられた孤児という設定に変わりました。「寡婦」を「孤児」に置き換えたことで、直美は家族を自分の手でつくる人として描かれることになります。

バーンズ先生と梅岡女学校のモデルは?ヴェッチと桜井女学校

梅岡女学校のモチーフは、明治19年(1886)に設けられた桜井女学校附属看護婦養成所です。桜井女学校は、現在の女子学院の前身の一つにあたります。

養成所には自前の実習病院がありませんでした。そのため生徒たちは、帝大の第一医院で実習を積んでいます。

そこで指導にあたったのが、バーンズ先生のモチーフとされるアグネス・ヴェッチです。女子学院の特設サイトによると、スコットランド生まれで、エディンバラ王立病院の看護婦養成所で学びました。

明治20年(1887)頃に来日し、翌年11月に任期を終えて帰国しています。わずか1年半ほどの滞在で、日本のトレインド・ナースの礎を築いたことになります。

第6週、掃除と換気とシーツ交換を繰り返させたバーンズ先生の厳しさ。あれは、衛生こそ看護の土台だというナイチンゲール以来の教えを、ドラマ流に翻訳した場面だったのでしょう。

※画像はAIによるイメージ

『風、薫る』史実とドラマの違い一覧

史実と脚色の違いを一つの表にまとめます。

項目ドラマ史実
りんの家族夫の酒乱で家を出る。一人娘・環離婚後、二人の子を育てる
帝大病院を去った理由末期がん患者の担当などを機に看護から距離を置く看護教育と待遇改善を求める建議書が医師の反発を招いたとされる
新潟での仕事女学校の舎監を経て黒川病院で働く高田女学校の舎監、のち知命堂病院の初代看護婦長
直美の出自教会に捨てられた孤児幕臣の娘で、夫を亡くした寡婦
直美の結婚第100回で小川と結婚再婚の記録は伝わっていない
派出看護婦会恵風看護婦会雅が設立した東京看護婦会
看護の本りんが「実践看護法」を出版和が『実地看護法』(明治41年)を刊行

骨格はかなり史実に忠実で、変えられたのは「人の動機」だと、この表から読み取れます。

りんの退職理由は史実と違う?建議書から「迷い」へ

最も大きな改変が、帝大病院を去った理由です。

2026年7月14日放送の第77回で、りんは自ら退職を申し出ます。NHK公式サイトの人物紹介では、末期がん患者を担当したことが、看護から距離を置くきっかけとされています。

一方、環境再生保全機構のコラムによれば、史実の和は看護婦に学ぶ時間がないことを憂い、教授あてに看護教育の充実と待遇改善を求める建議書を出しました。これが医師の反発を招いたといいます。

原案の第四章にも「医師との軋轢」という節があります。史実の和は、職業を守るために闘って職を失った人でした。

では、なぜ「闘い」を「迷い」に変えたのか。朝ドラの系譜をたどると、同じ傾向が見えてきます。

  • 『あさが来た』:広岡浅子の夫をめぐる妾の存在をほぼ描かず、夫婦の物語を明るく整えた
  • 『らんまん』:牧野富太郎の最初の結婚相手とされるいとこを、夫婦ではない幼なじみ・綾として再構成した
  • 『ブギウギ』:服部良一を羽鳥善一、吉本興業を「村山興業」と置き換え、実名の縛りを外した

いずれも、史実の生々しい部分を削り、主人公の内面の揺れに焦点を移しています。『風、薫る』のりんも、偉人伝ではなく「つまずく一人の女性の成長譚」として設計されたと僕は受け止めています。

『風、薫る』最終回はどうなった?結末と史実の重なり

最終回の第130回(9月25日放送)は、りんが書いた看護の実用書「実践看護法」の発売日から始まりました。

夕暮れの縁側で、二人はこれまでの歩みを振り返ります。りんが種をまけただろうかとつぶやき、直美がどこに芽が出ているかと応じる。そこへ研ナオコさん演じる占い師・真風が現れ、二人の起こした風はこの先も遠くまで吹く、という趣旨の言葉を残しました。

タイトルバックの後、物語は現代へ。二人によく似た看護師が、医療現場で患者と向き合う場面で幕を閉じます。

僕が息をのんだのは「実践看護法」という書名です。史実の和が明治41年(1908)に刊行したのは『実地看護法』でした。ドラマの到達点は、和の代表作とほぼ同じ場所に置かれていたのです。

途中の動機は書き換えられても、「知識を後に続く人へ手渡す」という和の生涯の核は、最終回できちんと回収されていました。

※画像はAIによるイメージ

最終回の反響と視聴率は?

日刊スポーツは放送当日、見上愛さんと上坂樹里さんが現代の看護師として登場したラストに、SNSで驚きと感動の声が相次いだと報じました。

モデルプレスによると、オープニングの最後にアルバムを開く現代の人物がいた意味に、最終回で気づいたという声も目立ちました。半年かけた伏線回収だったわけです。

数字の面では厳しさもありました。産経新聞によると、7月31日までの関東地区の期間平均世帯視聴率は13.9%で、直近10作では『おむすび』に次ぐ低さでした。

最終回と全話平均の確定値は、執筆時点で僕は確認できていません。最新の数字は各報道で確かめてください。

視聴率は伸び悩んだ一方で、最終回の評価は高い。「数字」と「余韻」がねじれた作品として、記憶されていくのかもしれません。

※画像はAIによるイメージ

なぜ史実を変えた?「負けを知る者」に込めた意図【考察】

ここからは、僕の私見です。

敗者の系譜としての二人

和と雅の周辺には、「負けた側」の気配が濃く漂っています。雅の父は戊辰戦争で敗れた幕臣、夫は西南戦争の傷で亡くなりました。和も離婚を経て、帝大病院を追われています。

第77回では、薩摩出身の巌(髙嶋政宏)が、負けを知る者は優しい、という趣旨の言葉を口にしました。勝者側の人物にこれを言わせた点に、僕は脚本の意図を感じます。

史実の和は闘って去り、ドラマのりんは迷って去りました。一見、強さを削った改変です。

しかし看護が「負けを知る者の優しさ」から生まれるなら、りんに挫折を背負わせたのは筋の通った選択でしょう。つまずいた人だからこそ、病む人の痛みに寄り添える。最終回の実用書は、その答えだったように思います。

それでも見たかった「建議書の和」

それでも、建議書を出した和の姿は令和の視聴者にこそ見せてほしかった、という思いは消えません。

日本看護協会が2026年3月31日に公表した調査では、2024年度の正規雇用看護職員の離職率は11.0%、既卒採用者では16.1%でした。労働政策研究・研修機構の記事によれば、夜勤手当は2010年とほぼ同じ水準にとどまっています。

和が闘った「学ぶ時間と待遇」の問題は、130年を経て形を変えて残っている。史実の建議書を描けば、ドラマは現代への鋭い問いにもなり得たはずです。

雅に贈り直された幸福

直美の結婚という改変も見逃せません。寡婦として子を育て、43歳で身を引いた雅の人生を、ドラマは「新しい家族をつくる物語」へ反転させました。

史実の雅が得られなかったかもしれない穏やかな時間を、フィクションが贈り直した。僕にはそう読めます。モデルのいるドラマは、史実を写すものではなく、史実に問いかけるものなのでしょう。

まとめ|『風、薫る』は実在の看護婦をモデルにしたフィクション

  • 『風、薫る』は、大関和と鈴木雅をモチーフにしたフィクションです。
  • 放送は2026年3月30日〜9月25日の全130回でした。
  • りん=大関和、直美=鈴木雅、バーンズ先生=アグネス・ヴェッチがモチーフとされます。
  • 退職理由は「建議書による医師との対立」から「看護への迷い」へ書き換えられました。
  • 恵風看護婦会は東京看護婦会、「実践看護法」は和の『実地看護法』に重なります。

史実を知ってから見返すと、何気ない場面に百数十年前の女性たちの足跡が浮かび上がります。二人が起こした風は、今もどこかの病室で、誰かの手当てとして吹き続けている。僕の胸には、まだ余韻の炎が灯り続けています。

よくある質問

ドラマ『風、薫る』は実話ですか?

完全な実話ではありません。実在の看護婦・大関和と鈴木雅をモチーフにしたフィクションで、原案は田中ひかるさんの『明治のナイチンゲール 大関和物語』です。

『風、薫る』の最終回はどうなりましたか?

りんが書いた看護の実用書「実践看護法」が出版され、縁側で二人が歩みを振り返ります。最後は二人に似た現代の看護師の場面で幕を閉じました。

大関和はなぜ帝大病院を辞めたのですか?

資料によると、看護教育の充実と看護婦の待遇改善を求める建議書を出し、医師と対立したことが退職につながったとされます。

大関和はその後どうなりましたか?

新潟・高田の知命堂病院で初代看護婦長を務めた後に上京し、東京看護婦会の会頭などを歴任しました。明治42年に大関看護婦会を開き、昭和7年に73歳で亡くなっています。

『風、薫る』の主題歌は?

Mrs. GREEN APPLEの「風と町」です。バンドにとって初めての朝ドラ主題歌となりました。

執筆:岸本湊人(ドラマ見届け人・湊)。ドラマ評論家として朝ドラを長年追い続けています。本記事は全130回を視聴したうえで、原案書籍の構成と、NHK・自治体・学校・報道機関・日本看護協会の公開資料を突き合わせて執筆しました。

参考

コメント

タイトルとURLをコピーしました