『豊臣兄弟!』の徳川家康は、史実で名高い「伊賀越え」をせず、偽情報で明智方を欺いて海路を選びました。
2026年7月19日放送の第28回「急げ!秀吉」で描かれたこの展開は、単なる史実改変ではありません。松下洸平演じる家康を「戦って勝つ男」より「最後まで生き残る男」として印象づける、重要な一手でした。YouTube+1
僕はこの場面を見たとき、険しい伊賀の山よりも、その山へ向かうと見せかけて静かに別の出口を探す家康の目が胸に残りました。
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『豊臣兄弟!』徳川家康は伊賀越えをどう回避した?
結論から言えば、第28回の家康は「伊賀へ向かう」という情報自体を囮にし、実際には船を使って岡崎への帰還を狙いました。
第28回「急げ!秀吉」は、本能寺の変によって織田信長が倒れた直後を描く回です。
明智光秀(要潤)は小一郎こと豊臣秀長(仲野太賀)の捕縛を命じ、一方の秀吉(池松壮亮)は毛利との和睦を急いで中国大返しへ踏み出します。徳川家康(松下洸平)や柴田勝家(山口馬木也)も、それぞれの立場から動き始めました。YouTube+1
家康がいたのは堺の津田宗久の屋敷です。
石川数正(迫田孝也)から、一刻も早く岡崎へ戻って軍勢を整えるべきだと進言された家康は、帰国ルートとして「伊賀」を示します。
歴史を知っている視聴者なら、この一言で反応したはずです。
徳川家康、本能寺の変、伊賀。
この3語がそろえば、次に来るのは当然「神君伊賀越え」だと思うからです。
ところが家康は、その期待を見事に外します。
津田宗久は家康が去ると、家康が伊賀へ向かうという情報を明智方へ伝えさせます。一方の家康は本多忠勝に船の手配を命じ、伊賀へ向かう話は見せかけだったことを数正に明かしました。劇中では明智方が伊賀で待っている場面まで入り、囮が機能したことが示されています。デイリースポーツ
ここで慎重に見たいのは、「家康が津田宗久の密告まで完全に見抜いていた」とまでは断定しないほうがいいという点です。
放送内容から明確なのは、家康が「伊賀へ行く」という情報を見せかけとして使ったこと。そして結果として、宗久から明智方へ渡った情報が家康の逃走を助ける囮になったことです。
このわずかな言い分けは、歴史ドラマの記事ではとても大切です。
ドラマの面白さを大きく語ろうとするほど、「描かれていない意図」まで事実のように補ってしまいやすいからです。

放送後には「伊賀越えキャンセル」「伊賀越えキャンセル界隈」といった反応がネット上で相次ぎました。大河ドラマで繰り返し映像化されてきた有名事件だけに、視聴者が「今回も伊賀越えをやる」と予想していたこと自体が、この仕掛けを成立させています。
僕が面白いと思ったのは、家康が劇中の明智方だけをだましたのではないことです。
歴史を知っている僕たちの記憶まで、脚本の罠に利用された。
「家康なら伊賀越えをする」。
その常識こそが、家康にとって最高の煙幕になっていました。
史実の徳川家康「伊賀越え」はどんなルートだった?
史実では、本能寺の変を知った家康が三河への帰還を急ぎ、伊賀方面を経て伊勢へ抜けたという流れが広く知られています。
ただし、ここには大事な注意点があります。
史実の「伊賀越え」は、一本の確定ルートが判明している事件ではありません。
天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変が発生しました。
当時の家康は信長の招きを受けて畿内を旅行しており、三重県の歴史資料では、堺で信長の死を知ったと説明されています。
家康の供回りは本多忠勝、服部半蔵、穴山梅雪ら30人余りとされ、大軍を率いていたわけではありません。
そこで三河へ帰るため、南山城から近江・信楽付近を経て伊賀へ入り、鈴鹿山系を越えて伊勢へ出たというルートが長く通説として紹介されてきました。
伊勢に着いた後は船を利用して三河へ渡り、三重県の解説では6月4日に本国へ到着したとされています。三重県文化振興課
つまり、ここでまず押さえておきたいのは、史実の家康も最終的には船を使ったと考えられていることです。
「史実=全部山道」「ドラマ=全部船」という単純な対立ではありません。
違うのは、船そのものではなく、船に乗るまでに伊賀方面を通ったかどうかなのです。

そして、現在の記事で特に強調したいのがここです。
伊賀市史を調べた三重県立図書館のレファレンス事例では、関係史料によって所要日数やルートが異なり、伊賀国内の細かな経路はいまだ定まっていないと整理されています。
『石川忠総留書』などをもとにするルートでは、伊賀国境から丸柱、石川、河合、柘植を通り、加太越えで伊勢へ出る流れが示されます。
一方、伊勢から三河へ渡る地点についても、白子、長太浦、四日市など複数の説があります。レファレンス協同データベース
さらに近年は、従来よく知られてきた「山城・信楽経由」だけでなく、大和から南伊賀へ入った可能性を再検討する研究もあります。
三重大学の研究紹介では、『当代記』など複数の史料や家康関係文書を検討し、大和から高見峠方面を経て伊賀へ向かった可能性が論じられています。2023年の研究論文でも、大和越えの蓋然性を改めて検討すべきだという指摘が出ています。人間社会学部+1
ここは、『豊臣兄弟!』と史実を比べるうえでかなり重要です。
「ドラマは確定した史実を完全に無視した」と言ってしまうと、歴史研究の実態を少し単純化しすぎます。
確かなのは、本能寺の変後に家康が危険な状況から三河へ帰還したこと。
そして後世に「神君伊賀越え」と呼ばれるほど大きな危機として記憶されたことです。
しかし、どこを何日に通り、誰がどの場面で助け、どの港から船に乗ったのかという細部には余白が残っている。
歴史ドラマは、その余白に物語を入れます。
『豊臣兄弟!』は、その余白をかなり大胆に広げた作品だと考えるのが適切でしょう。
服部半蔵は本当に伊賀越えの英雄だった?
伊賀越えと聞くと、服部半蔵が伊賀者を率いて家康を救った姿を思い浮かべる人も多いはずです。
しかし、ここも史料ごとに見え方が変わります。
三重県の歴史資料によると、比較的信頼性が高いとされる『石川忠総留書』では、服部半蔵が家康の供の一人だったことは確認できるものの、半蔵が伊賀者を指揮して大活躍したという具体的な記述までは確認できません。三重県文化振興課
一方、後世の『寛政重修諸家譜』などには、半蔵が伊賀を案内したとする記述があります。三重県文化振興課
したがって、「半蔵は何もしていない」と切り捨てるのも、「忍者軍団を率いてすべてを解決した」と断定するのも早計です。
歴史には、ときどき霧があります。
僕はその霧を無理に晴らすより、どこまでが史料で確認でき、どこからが後世の伝承なのかを分けて見ることのほうが、かえって人物を面白くしてくれると思っています。
『豊臣兄弟!』と史実の伊賀越えは何が違う?
違いを整理すると、最大のポイントは「船を使ったかどうか」ではありません。
伊賀方面を実際に通る帰還行だったのか、それとも「伊賀」という名前そのものを囮にしたのか。
そこが『豊臣兄弟!』版の最大の脚色です。
比較ポイント 『豊臣兄弟!』 史実・研究上の整理
本能寺の変後 堺の津田宗久邸から帰還策を練る 家康は畿内におり、堺で変を知ったとする記録がある
「伊賀」への方針 周囲に示す見せかけの進路 伊賀を経たとする複数の史料・伝承がある
山中の移動 伊賀越え自体を回避 山城・信楽経由説や大和経由説など複数
船の利用 早い段階から海路を選ぶ策として描写 伊勢へ抜けた後、船で三河へ渡ったとされる
渡海地点 ドラマでは港の史料論争までは描かない 白子、長太浦、四日市など諸説
家康像 情報を囮に変える策士 危機対応、家臣・在地勢力との連携で生還した人物
物語の焦点 「どう伊賀を越えるか」ではなく「なぜ越えないか」 実際の経路そのものが歴史研究の論点
デイリースポーツ+2レファレンス協同データベース+2

この比較から見えてくるのは、『豊臣兄弟!』が史実の「船」という要素まで捨ててはいないことです。
むしろ史実にある陸路と海路の組み合わせから、海路の部分だけを大胆に前へ持ってきた。
僕にはそう見えました。
ここが、単なる「史実を無視したサプライズ」とは違うところです。
史実の部品を残しながら、順序と意味を組み替える。
歴史の出来事を変えるというより、家康という人物の性格から出来事を再設計した。
この脚色は、かなり計算されています。
なぜ『豊臣兄弟!』の家康は伊賀越えを“キャンセル”した?
僕は、この変更には明確な人物造形上の理由があると考えています。
『豊臣兄弟!』の徳川家康にとって最大の武器は、腕力でも勇猛さでもありません。
生き残るために、常識や体面をためらわず捨てられることです。
「危険だが歴史上有名な道だから進む」という発想は、ドラマの家康には似合いません。
危険なら避ければいい。
敵が自分の進路を予想しているなら、その予想を利用すればいい。
勇敢に山へ入るより、山へ入ると思わせて逆へ進む。
それがこの作品の家康です。
僕も若いころは、ドラマの武将を見ると「危険に飛び込む人物ほど格好いい」と思うことがありました。
でも年齢を重ねるほど、少し見方が変わりました。
引き返す。
遠回りする。
頭を下げる。
逃げる。
一見すると弱く見える判断にも、実は相当な強さが必要です。
天下を取るための最初の条件は、天下を取る日まで生きていること。
伊賀越え回避は、その当たり前を家康という人物に刻み込む場面だったのでしょう。

そして、この場面では石川数正の存在も重要です。
迫田孝也演じる数正は、伊賀と聞いて驚きながらも、その後は家康の本当の狙いを知る立場にいます。デイリースポーツ
史実の石川数正は徳川家の重臣でありながら、のちに家康のもとを離れて秀吉側へ移る人物です。
だから僕には、第28回の数正が単なる説明役には見えませんでした。
家康がどういう時に嘘をつき、どういう時に退き、どうやって生き残るのかを近くで見ている男。
その男が後年、豊臣側へ向かう。
もちろん、この伊賀越えの一場面と後の出奔を直接結びつける史料があるわけではありません。
ここはあくまでドラマを見た僕の考察です。
それでも、後の展開を知る視聴者にとっては、数正が家康の“化かし方”を理解していく描写そのものが、じわじわと意味を持ってくるように感じます。
過去の大河と逆の発想だった
この脚色の面白さは、過去の大河ドラマと比べるとさらに分かりやすくなります。
たとえば2023年の『どうする家康』第29回は、タイトル自体が「伊賀を越えろ!」でした。
松本潤演じる家康は、山田孝之演じる服部半蔵の進言で伊賀へ入り、光秀の追手を避けながら難所を進みます。途中では伊賀者に捕らえられるなど、「伊賀をどう突破するか」そのものがドラマの中心でした。NHKオンデマンド
ところが『豊臣兄弟!』は逆です。
「伊賀をどう越える?」
ではありません。
「そもそも、なぜ越えなければならない?」
この問いから脚本を組み直した。
歴史上あまりにも有名な出来事だからこそ、その出来事を“やらない”ことが人物描写になる。
これは史実再現型の大河とは違う、『豊臣兄弟!』らしい面白さだと思います。
伊賀越え回避は秀吉と家康の対決へどうつながる?
第28回の「伊賀越えキャンセル」は、その回だけの奇抜なオチではありません。
2026年9月6日放送の第34回「最強のライバル」まで見ると、家康の生存戦略が一本の線につながってきます。
第34回では、秀吉が大坂城を築き、諸国の有力大名が挨拶に訪れる一方、家康だけは関東平定を理由に姿を現しません。
そこへ織田信雄が接近し、秀吉打倒を持ちかけます。
家康はいったん誘いを断りますが、物語はいよいよ秀吉と家康を大きな対立軸として並べ始めました。オリコンニュース(ORICON NEWS)
僕はここで、第28回の船を思い出しました。
伊賀越えを回避した家康も、大坂へ簡単に顔を出さない家康も、根っこは同じです。
相手の土俵へ不用意に乗らない。
自分が逃げられる場所を残す。
敵にも味方にも、自分の本心をすべて渡さない。
秀吉は勢いで距離を縮め、人を巻き込みながら盤面そのものを動かしていく人物です。
一方の家康は、盤面の端に退路を一本残したまま、最後まで相手を観察する。
この二人の違いは、とても面白い。

秀吉は「今、この瞬間」を巨大にするのがうまい。
家康は「次の瞬間まで残る」ことがうまい。
この違いが、小牧・長久手へ向かう物語で大きな緊張を生むはずです。
僕は、第28回の伊賀越えを「家康の取扱説明書」のような場面だったと考えています。
家康が逃げたからといって、負けたとは限らない。
従ったように見えても、心まで従っているとは限らない。
何もしていないように見える時間こそ、相手を見ている時間かもしれない。
あの日、家康は伊賀の山を越えませんでした。
でも物語としては、あの瞬間に一つの大きな山を越えています。
「信長の同盟者だった徳川家康」から、やがて豊臣兄弟の前に立つ、簡単には倒せない徳川家康へ。
その輪郭が、はっきり見え始めたのです。
まとめ|『豊臣兄弟!』の伊賀越えは「しないこと」に意味がある
『豊臣兄弟!』第28回「急げ!秀吉」で、徳川家康は「伊賀へ向かう」と周囲に思わせながら、実際には船を使った帰還策を選びました。
津田宗久から明智方へ伊賀行きの情報が伝わり、明智軍が伊賀で待つ一方、家康は別の手を進める。
その意外性から、放送後には「伊賀越えキャンセル」という反応が広がりました。デイリースポーツ
一方の史実では、家康が伊賀方面を経て伊勢へ抜け、そこから船で三河へ渡ったという説明が広く知られています。
ただし、伊賀市史などが示すように細かな経路や渡海地点には複数の説があり、近年は大和から南伊賀へ向かった可能性を再評価する研究もあります。レファレンス協同データベース+1
だからこそ、ドラマと史実の違いを「本当は伊賀越えをしたのに、ドラマでは船にした」の一言だけで終わらせるのは惜しい。
史実にも船は登場する。
史実のルート自体にも議論が残る。
そしてドラマは、その歴史の余白を利用して、「生きるためなら有名な道さえ捨てる家康」を作り上げました。
僕の胸に残ったのは、天下人になる男が山を勇敢に駆け抜ける姿ではありません。
山へ行くと皆に思わせながら、自分だけは静かに別の出口を見ている姿でした。
勇気とは、いつも前へ進むことではない。
ときには引くこと。
ときには遠回りすること。
そして、自分の人生を預けてはいけない道を見抜くこと。
歴史の勝者とは、最も派手に戦った人ではなく、最後まで盤上から消えなかった人なのかもしれません。
『豊臣兄弟!』の「伊賀越えをしない伊賀越え」は、その家康の怖さを、たった一度の進路変更で鮮やかに見せてくれた場面だったと思います。
よくある質問
『豊臣兄弟!』で徳川家康の伊賀越えが描かれたのは何話?
2026年7月19日放送の第28回「急げ!秀吉」です。本能寺の変後の徳川家康の動きと、秀吉の中国大返しが並行して描かれました。YouTube+1
『豊臣兄弟!』の徳川家康は本当に伊賀越えをしなかった?
ドラマでは「伊賀へ向かう」という情報を見せかけにし、家康は船を手配して別の帰還策を選びます。劇中では明智方が伊賀で家康を待つ描写もありました。デイリースポーツ
史実の家康は伊賀から岡崎までずっと陸路だった?
いいえ。一般的には伊賀方面から伊勢へ抜けた後、船で三河へ渡ったとされています。ただし伊賀国内の経路や渡海地点には複数説があり、大和経由を再評価する研究もあります。レファレンス協同データベース+1
文:岸本 湊人
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